藤堂高虎について思う事(駄文)

今日、職場の人に出世餅を見せてもらった。

そうしたら、豊橋のお店のお餅なのに「藤堂高虎」と書いてある

藤堂高虎は伊勢津藩(三重県津市)の初代城主なはず…

出世餅の由来について調べたら

藤堂高虎が足軽のころ主君のもとを飛び出し、放浪していました。三河国吉田宿(現在の愛知県豊橋市)へ差しかかったとき街道沿いに餅屋を見つけ、あまりの空腹に銭がないのに餅を注文し、ぺろりと平らげました。食べ終わってから、高虎は店の主人に無銭飲食であることを正直に白状して謝りました。ところが店主は、寛大な慈悲のある人で、無銭飲食をとがめるどころか餅を土産として高虎に与え、支払は出世してからでよいと言って許しました。これに感激した高虎は、礼を言って立ち去りました。のちに大名に出世した高虎は、『白餅』を『城持ち』にかけて、藤堂家の旗印 『白もち3つ』としました。大名になってから高虎は再び吉田宿を訪れ、餅屋の店主に丁重なお礼をしました。

http://dohan.jp/?pid=135252198 より引用

そんなエピソードがあったのね…

昔から藤堂高虎の名前は知っていましたが(津市民だからさ)この様な話は全く知りませんでした。藤堂高虎ってどういう人?そういえば全く知らなかった…..と思い、Wikiぺディアで藤堂高虎について読んだら、大河ドラマの主人公になってもおかしくないぐらいの逸話がある歴史人物じゃないですか!

興味を持ったので早速、Amazonで藤堂高虎のコミック本を購入しました。(明日届く)子どもにも読んでもらおう。

昨日、三重県津市の実家で遊んで 本日、愛知県の三河地方で仕事をしている私なのでちょっと藤堂高虎に重なるものを感じました。

だからって豊橋でお餅を無銭飲食したりはしませんけど…

子供の頃は津城にあるお城公園で鳩に餌をあげたりして遊んでいただけでした。

今度実家に帰った時にはゆっくり津城を見学しようと思います。

初代藩主の事を詳しく知っていたら、津城を見る目も、もうちょっと変わっていたんじゃないかと思います。

なかなか魅力ある初代藩主なので、津市の小学校は授業で藤堂高虎について教えても良いのではないか?と思いました。

我が子が通っている小学校、徳川家康の遺訓を毎日朗読してた時期がありましたよ…徳川家康の遺訓から夫のロードスターを自由に運転する作戦を考え直す

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